会社の舞台裏
vol.01プロローグ
vol.02創業期
vol.03はっきり言って、
舐められてました
取材の舞台裏
vol.01プロローグ

vol.03 はっきり言って、舐められてました

創業当初の会社には様々な苦労があるものです。八木社長も、いろいろな困難を体験されたのではないですか?
八木 「今でもそうですが、当時『女は事業で1億円を超えられない』と言われていました。女性は細かいところには気が付きますが、その半面大きな考えを持つことができない。だからなかなか"年商1億円"を超えられないというわけです。これにはなるほどな、と思うところもあります。でもそう思われるのは悔しいですよね。だから私は、事業を始めた時から『絶対に年商1億円を超えてやる』って思っていました。」
「事業の方は手が回らないくらい反響があったので、一見順調に見えました。けれども会社の資金繰りは日に日に苦しくなっていきました。勤めていたとき結構貯金をしていたので、私の通帳には1000万円以上ありました。ところが、そのお金をどんどん会社に回すようになり、遂には残高が16万円になってしまったんです。」
でも、お客様からの『良い先生を紹介してほしい』という要望はたくさん来てたんですよね?
八木 「会社の資金繰りが悪くなる時って、2つの場合があるんです。1つは、業績が悪くて売上が上げられない場合。もう1つは、会社が成長期にある場合です。」
成長中の会社も資金繰りが悪くなる?
八木 「会社が成長中ということは、投資をする必要が出てきます。うちの会社の場合は、主に人件費ですね。人手が足りないから人を入れる。また場所も狭くなってしまい、新しくもっと広い事務所を借りる。それから大阪や福岡にも拠点を構える計画も出ていましたから、これやあれやと、いつの間にかお金が無くなっていったんです。会社を初めてから3年目のことでした。その時は『この通帳のお金が全部無くなったら、会社をたたもう』と決心するくらいに資金繰りが悪い状態でした。」
銀行から融資など受けなかったのですか?
八木 「どうにも銀行が苦手で・・・(笑)。でも新しく事務所を借りるにあたって資金が必要になり、国金(国民生活金融公庫。現:日本政策金融公庫)に300万円の融資を受けに行きました。17年会社を経営していますが、融資を受けたのはこの時とあと1回だけですね。」
不況の影響もあり、近年では金融機関の貸し渋りや貸しはがしなんて声も聞こえます。当時はすんなり借りられたものなんですか?
八木 「きちんとやり方を知っていればもっと簡単に通ったのかもしれませんが、私の場合は渋られましたね。(声をひそめて)国金の担当の方に『パトロンはいるんですか?』なんて聞かれたこともあります。」
えーっ?それはずいぶん失礼な言い方ですね。
八木 「要するに、若い女性の経営者にはお金を出してくれるような方が後ろについている場合が多いというんですよ。本当に品性のない発言に、ひっくり返りそうになりました。」
「また、何回も担当の方に『本当に返せますか?』と聞かれました。内心『本当に返せるかな』と思っていましたが、そんなこと言えませんので、『絶対大丈夫です』と言い切っていました。最終的には、保証協会をつけるという条件で、何とか融資を受けることができました。」

代表八木が初めて掲載された記事※リクルート、アントレ紙 (クリックで本文が読めます)
他にも、"若い""女性"ということを不利に感じたことはありますか?
八木 「保証人がいないということで、コピー機のリースを断られたこともあります。以前勤めていたところが大手だったので、ネームバリューの無い会社、それも女性経営者に対する世間の冷たさを実感しましたね。また、社外だけでなく当時は社内でも舐められていましたから(VoL・2に掲載)、起業して2~3年目はなかなか大変な時期でした。」
八木社長にもそんな時代があったんですね。どうやって今のような社長になったのでしょうか?
八木 「きっかけは1冊の本です。と言っても、それは古本屋で偶然手に取ったもので、今は題名も覚えていないのですが・・・。『女が事業で~』とかそんな題名だったと思います。いわゆる"ウーマン・リブ"の本なんですが、その内容が結構過激で。"経営者は社員に女性だと思われてはいけない""スカートではなくズボンをはきなさい"から始まって、"時には社員を蹴飛ばしなさい"なんてことまで。もちろん今まで社員に暴力をふるったことはありませんよ(笑)。でも、社員をそれくらい恫喝することも時には必要なんだということを、その本から教わりました。そして、私はその本に書いてあることを、2年かけて実行しようと決めたのです。まず手始めに、自分のことを『社長』と呼ばせ、社員のことは呼び捨てにするようにしました。」
最初は驚かれたんじゃないですか?
八木 「今までは『八木さんって呼んでください』と言っていたのが、急に『今日から私のことは社長と呼ぶように』と宣言しましたから、『何言ってるんだか』という態度の方もいました。けれどもその日から、私は本に書いてあることを実行していきました。例えば、営業では明確な目標、いわゆるノルマ数字を設定しました。ノルマを達成できなければ、なぜ達成できなかったのかを追及します。そうすると、当然不満を持つ者も出てきましたが、売上はどんどん上がっていったんです。起業して6年目には、やっと目標にしていた"年商1億円"を超えたのです。」
"年商1億"を突破したときは、相当嬉しかったんじゃないですか?
八木 「正直に言うと『こんなものか』という感じでした。年商1億じゃまだまだダメだな、と。その時にはもう次の目標である年商3億を目指していましたね。」
八木社長のそのスタンスに、ビスカスの成長の秘密があるのでしょう。次回からは、成長を遂げるビスカスが、どのようにして"専門家紹介"という業界を開拓していったかを伺いたいと思います。

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