会社の舞台裏
vol.01プロローグ
vol.02創業期
vol.03はっきり言って、
舐められてました
取材の舞台裏
vol.01プロローグ

vol.02 創業期

何千というアンケートの結果から、税理士に対するネガティブなイメージが見えたということですね?
八木 「そうです。また、中小企業様でのアンケートには、税理士事務所に対する不満の傾向もはっきり表れていました。まず一番多かったのが、『料金が高い』という声です。当時は日本の景気も良かったので、業績も好調な企業が多かった。顧問料の目安の一つが "年商規模"ですから、年商が高ければ比例して顧問料が上がることは当然です。ところが、そのアンケートからは、会計事務所に対してどう考えても法外としか思えない料金を払っている経営者の方が多かったのです。平成14年に撤廃されましたが、当時は税理士会の方で報酬規定が定められていました。しかし、その報酬規定を大きく逸脱した顧問料を請求している事務所がたくさんあったのです。」
「また、その他にも『何もしてくれない』『威張った対応をする』という声も多かったですね。当時は"税理士業=サービス業"と考えている先生は、今よりずっと少なかったのではないでしょうか。そこで私は、"税理士紹介業"というビジネスの可能性を見出したのです。」
「ところが、周囲の反応は厳しいものでした。私は、何人か知り合いの税理士に、このビジネスプランを話してみたのですが、皆口を揃えて『難しい』と。とてもビジネスとして成り立たないよ、と言われました。」
「けれども諦めきれなかった私は、あらゆる可能性を探しました。すると、当時アメリカではすでに専門家紹介というビジネスが成立していたのです。つまり、日本であってもニーズは同じ=そこには必ずビジネスチャンスがある。私の熱意が伝わったのか、私の考えに賛同してくれる税理士の先生方が4人現れたのです。」
いよいよ"ビスカス"のスタートですね。
八木 「当初は『とにかく紹介実績を出す』ことを目標にしていました。半年くらいは私1人でやっていましたので、午前中は電話営業。午後には先生と一緒に面談。多い日には午後だけで5件の面談をしたこともあります。真夏にクーラーのない場所で面談。お客様先を出た直後に自動販売機にダッシュをし、炎天下のなか先生と一緒に缶コーヒーを一気飲みしたなんてこともあります。」
「あらゆる業界の社長様から、『ウチの会社をもっと良くしてくれるような熱意のある先生を紹介してほしい』というご要望をたくさんいただきました。それだけ経営者にとって税理士の存在は大きいということ。あっという間に忙しくなり、すぐに4人の税理士の先生では手が回らなくなりました。4人の先生から知り合いの先生を紹介してもらったり、評判を聞いた税理士の先生の方から問い合わせをいただいたり。順調に税理士のネットワークも増えていきました。とにかく毎日目まぐるしく過ぎていったという感じでしたね。」
八木社長のパワフルな様子が目に浮かびます。
八木 「勢いだけはありましたが、会社の実態は個人事業みたいなもの。オフィスも借りていましたが、7坪くらいのワンルームマンション。何とユニットバスでした。人が5人も入れば一杯になってしまうような場所です。電話営業をするアルバイトも雇っていましたが、相当怪しい会社に写ったんじゃないでしょうか。経営者はまだ若い女性で、狭い部屋に電話だけ置かれている状況でしたから。人を雇っても2日目には連絡がこなくなるなんてこともしょっちゅうありました。」
「それでも、お客様からの相談は来る日も来る日も寄せられます。7坪のワンルームマンションでは手狭になったので、20坪くらいの事務所に引っ越したんです。その時初めて正社員として人を雇いました。」
正社員を雇うということは、その人の生活を保障するということ。『人を雇うことによって、社長としての自覚が芽生えた』という声もよく聞きます。
八木 「確かに、その時に経営者としての"責任"を改めて感じましたね。会社として利益を出し、従業員の生活を守る。でも私には、経営者としての自信なんて全くありませんでした。だからどうしても『社長』と呼ばれることに慣れなくて・・・。当時スタッフには、『私のことは、社長じゃなくて八木さんと呼んでください』なんて言っていました。今のスタッフにその話をすると、皆『えーっ!』という反応ですね。今の私からは全く想像できないと思いますよ。」
自信のない八木社長。確かに想像がつきません(笑)。
八木 「今でも経営者として100%自信があるとは言えませんが・・・。けれども、やっぱり上が自信のない様子を出せば、下のスタッフだってついてきてはくれません。当時ははっきり言ってスタッフには舐められていたと思います。特に私は営業で外に出ている事が多かったので、社内はサボろうと思えばいくらでもサボれる状況でしたし、あまり素行の良くない人もいましたから。『若い』『女性』ということは、社内においても社外においても、経営者としては不利に働くことが多かったですね。」
次回はこれまでの様々な困難と、それを乗り越え今の"八木美代子"が出来るまでの過程をお伝えします。この続きは【VoL・3 会社の舞台裏 『はっきり言って、舐められてました』編】をご覧ください。

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